2015年11月 近つ飛鳥博物館のこと



一度は、堺から自転車で行こうとして挫折した「近つ飛鳥博物館」。
今回も、たどり着くのに苦労しました。最寄り駅から足で行くなら、入念に下調べすべしです。わかりにくいし、遠いし。
直売所のご夫婦にたずねてもはるか遠くにそびえたっている丘をを指差して「あの竹やぶを曲がって〜、あの黄色いイチョウを通って〜」とか言ってますもん(笑)

さて、近つ飛鳥博物館とは。
大阪府南河内郡河南町に建つ府立博物館ですが、このあたり一帯は「飛鳥」と今でも地名が残っています。奈良(大和)の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼ぶのに対して、大阪(河内)のそれは「近つ飛鳥」と呼ばれていました。
海上交通の盛んだった難波から見て近い飛鳥と遠い飛鳥とに呼び分けていたと言われていますが、距離的な遠近ではなく天皇のいらっしゃる宮の新旧を表したものだろう、いやいや平城京や藤原京などの都から見た遠近だ、などと諸説はあります。

いずれにせよ、博物館一帯を含む河内飛鳥にも大和飛鳥に劣らない強大な権力、豊かな文化圏が形成されていたことがうかがえるわけです。
1つの証左が日本有数の古墳群の存在が挙げられます。具体的に言うと、4基の天皇陵をはじめ、聖徳太子、小野妹子など、誰でも知っている人物の陵墓が点在し、大小の陵墓は総計200基越えるとも言われています。

おびただしい数の古墳が集まった「一須賀古墳群」を保存する目的で整備され、今は「風土記の丘」という名前の公園になっています。このような場所に、「近つ飛鳥博物館」は立地しています。

近つ飛鳥博物館は、建築物としても注目されているらしく地方の博物館にしてはめずらしく外国人観光客の姿もちらほら見られ、外観を撮影している人も多いです。
あとで知りましたが、安藤という人の設計だそうです。建物がちょっと変わっているのでどんどん名前をつけてイメージ遊びをすると楽しくていいかもしれません。

それでは、長々と前述した、博物館の周りの立地背景・地理条件を踏まえて、いろいろイメージしてみましょう。
博物館の駐車場がまず見えてきます。
広い駐車場を併設しており、恐らくここまでは車で来る人も多いので、長い壁の裏側に歩道があることを見落としがちかもしれません。駐車場から直接に博物館へ入れますが、博物館見学が終わった帰りは長い壁の裏側を通ってもいいですね。

駐車場から博物館へのぼっていく階段です。博物館の側面ですが、こうして見ていると、行き先が見えなくてぐるぐるいつまでも回っている階段に見えます。螺旋階段のようですね。

螺旋階段のような階段を登っていくと、小さな段差の階段が積み重ねられたピラミッドのような風景に出くわします。
最近(2014年)に発掘作業によって形状が明らかになった「都塚古墳」(奈良県明日香村)もまた石を階段状に積み重ねたピラミッド型の古墳だったと報じられていました。
コンクリートの無機質なタワーが博物館です。しかし入口はどこにあるのか。

ピラミッドを登って行ってもコンクリートのタワーには入口がありません。博物館に入るには高い壁によって誘導される階段を行かなければなりません。写真の右手が博物館への入口、左手には風土記の丘があります。
振り返って見ると、それは黄泉の国への果てしない通路のようにも見えます。



博物館めぐりに戻る