2018年10月 天理参考館

「華麗なるササン王朝」

〜正倉院宝物の源流〜



午前中の雨が嘘のように晴れてきた午後。台風が近づき天気予報では降る降る詐欺。昔から繰り返されてきた光景です。
そんな暗い世の中の詐欺には騙されず、私たちは天理参考館へとやってきました。
まったく興味も無いお題目の「華麗なるササン王朝」ですが、今回は講演会がお目当てで「ササン朝ガラスの東方伝播」を聞きに参りました。
新沢古墳群から出土したガラス製品がヨーロッパのものだという事から、何かしら面白い話が聞けるだろうというわけです。


3世紀に興り約400年間、今のイラン・イラクの大部分を支配していたのがササン朝ペルシア。
日本とはなんら関係の無いような国だが、その文化はシルクロードを通り、日本の正倉院の宝物にもなっている。
その正倉院の源流であるササン朝の文物で天理参考館が所蔵する品を展示し、交易という人の交わりの文化に少しでも触れようという展示であった。

展示物は、銀貨・円形切子ガラス碗・青銅製品・金製装飾具・石製印章などであり、私が気に入ったのが切子ガラス碗と石製スタンプ印章だった。

ササン朝の時代には、重要な文書や荷物が開けられていない事を確認するために、梱包した縄の結び目に粘土をつけて封印するという事をやっていた。それに使われたのが「封泥」と呼ばれる粘土。
石製スタンプ印章には植物や動物の絵が彫り込まれており、「封泥」にペチャっと押すとそのマークが付けられ、責任の所在が明確になる。(文字が彫り込まれている方が重要なものらしい)
メノウや碧玉、赤鉄鉱を素材としていて丸く削られ、1cm程の大きさで、いかにも押しにくい感じのものだがそれがまたいい感じなのだ。

切子ガラス碗はガラスのお椀に円形の模様のようなものを切り込んだものだった。それが銀化(土の中に埋まっていると成分が水分に溶け出し、虹のように輝く。さらに化学反応を起こすと石灰のように白くなる。)したものが、これまたとてもいいお味を出しているお椀なのだ。これで味噌汁をすすれば至高の一杯となるだろう。

近江の長浜に行った時に黒壁ガラス館なるお土産屋があった。そこでは、虹のように銀化したガラスをローマングラスと言って結構なお値段で販売していた。
そこの紹介看板によると、「現在のイスラエル周辺は吹きガラスが発明された地で、多くのガラス工房があったローマ帝国のガラス産業の中心地。紀元前1世紀から紀元後4世紀の間にローマ帝国内で作られた吹きガラス技法によって作られたガラスで、イスラエルやレバノン周辺の環境だと美しく銀化したローマングラスが発掘される。エジプトでは乾燥と高温でガラスがぼろぼろになり、日本では湿度が高すぎるために銀化しない。」ということだった。

地図でチラッと見ただけの適当な判断だが、地中海圏がローマ帝国で、ペルシア湾圏がペルシア帝国だったと思われる。海上交通で国が分かれていた時代に、陸の道を通って東に来た面白い製品がナトロン(ローマ)、ササンガラスなのだ。



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目的である講演会の講師、谷一尚氏は林原美術館の館長で、ガラス界の権威の方と紹介があった。
失礼なのだが、館長という肩書を見ただけで、なんかつまらない話をするんじゃないかなと思っていた。
それが見事に裏切られた。とにかく話好きで、水を飲みながらテンポよくしゃべり、裏話などを交えながら人を引き込んでいっていた。

話しの内容の主なものとしては、最近、分析技術が上がっているので非破壊で成分調査ができるということで、その成分による製作地などの分類の表を今作成中なのだそうだ。
成分のうちカリウム・マグネシウムが1%以下のものは「ナトロン(ローマ)ガラス」。
カリウムよりマグネシウムが倍程含まれているのは、砂漠の植物灰がまざっている「ササンガラス」。
カリウムよりマグネシウムが少なく1%以上ならば中央アジア系のガラス。
という風に分類されているという。
この成分が分かる事で発見されるガラスの製作地が分かり、東アジアや日本でもナトロン(ローマ)やササンのガラスが出土している。
そして、鉢の形のナトロン(ローマ)・ササンガラスがあることから東アジアで加工される事も分かり、ガラス種というものが流通していた可能性も現在は考えられているらしい。

たったこれだけの内容だったけど、ところどころでネタを入れてくるので聞いていてまったく飽きなかった。
伝安閑陵切子碗、新沢126号墳の発掘、沖ノ島の禁制、唐招提寺の展覧会など、これらの裏話を面白可笑しく語ってくれたのだ。ガラス研究じゃなくて噺家になればいいんじゃないかと思ってしまうくらいだった。
結局10分程、時間をオーバーしてしまっていたが、資料の最後の方も駆け足になってしまったし、まだまだしゃべり足りない感じで、その雰囲気がまた面白かった。


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新沢126号墳より出土したものに関しては、切子碗がササンガラスで、皿は成分も技法もナトロン(ローマ)ガラスらしい。126号墳は5世紀後半頃の築造と考えられている。
まだササン朝ペルシアが現役だったころ、新沢古墳にこの2つのガラスが収められていた。これの意味するところはなんなのだろうか?これを考える上で大切なのは他にガラス製品が発掘されていないかどうかなのだが、間抜けな事に質問することをすっかり忘れてしまってました。(面白い話しの弊害)

新沢500号墳は4世紀後半頃の築造と考えられていて、ここからは「筒形銅器・方形板革綴甲」などの倭製文物(近つ飛鳥で勉強した)が出土しています。
当時の最新のものがこの古墳に埋葬されていて、それは5世紀後半も続いている。ひょっとすると大王クラスの人物、大王とはまた別の権力者がいたのかもしれません。
今でも大臣などより、資産家の方のほうがコレクターが多いのではないかと思います。
4世紀、5世紀の当時にも権力、軍事力以外の力は当然あったであろうし、そんな中の1つに貿易をやって力を得ている人達が居てもおかしくはないでしょう。貿易と簡単に言っても、計算や記録、交渉など様々な能力が必要になってきます。
そういう新しい能力を取り入れていったのが「空白の4世紀」で、後に倭の五王として中国に安東大将軍の名称を求めるきっかけにつながっていくわけです。

違う博物館の話題につながってしまいましたが、こういう見て来たものがつながっていくというのも博物館めぐりの醍醐味かもしれません。皆さまも是非現地にてお楽しみください。自分なりの答えが出て楽しいものです。



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