2018年10月 大阪市立美術館

「ルーブル美術館展」

〜人は人をどう表現してきたか〜


前回開催していた「江戸の戯画」の展示が非常に面白かったので、今回の「ルーブル美術展」も見学に行ってまいりました。
副題である「〜人は人をどう表現してきたか〜」という文句に惹かれたという理由もあります。

平日の昼下がりの天王寺公園。悠々と闊歩しながら公園を横切り大阪市立美術館を目指しました。
秋の日のほどよい陽気を人々は楽しみ、公園にいつの頃からか設置されている土産物屋や喫茶店なども混み合っていました。
「公園」という一区画に大量に押し込められている人達を見て「人は人にどう支配されてきたのか」などという答えのない問いを自らに突きつける。そして、それは美術館へと向かう自分にも当てはめられるものだと気づき、そこへ思いを馳せようと思っている時に、美術館へと到着していました。


市立美術館だから市が建てた所だと思うのですが、入館料に有料音声ガイド、展示本、さらには土産物スペースまで揃っており、とても市がやっているようには感じられません。運営会社は別にあるかと思われるのですが、そういう裏の仕組みやお金の流れを確認することができたら、美術展なんかよりもよっぽど面白いのではないかと思いました。
これが世に言う「事実は小説より奇なり」というやつですね。

ルーブル美術展は大盛況で老若男女様々なる人が訪れていて、並ばなければ展示が見れないような、そんな状況もところどころで発生していました。
内容としては、葬送儀礼による肖像から始まり、権力による肖像の利用、そして最後は画家たちが自分の作品に自画像を書き、自己を主張していくようになる、といったものでした。


展示品についてですが、真っ白な大理石による彫刻像が多く、日本でよく見る石像や木像とはイメージが違いました。衣のしわや肌の丸みなどの表現は似ていたと思うのですが、産出される石の材質や木の材質によって全く印象が変わるのも面白いものだと思いました。
肖像画に於いても写実性を追求していることがすごく感じられました。それゆえに対象物から生命が抜け落ちていて、人としてではなく物として描いているような、そんな印象を持ちました。
その代表的な存在が「ナポレオン」の肖像かと思います。フランスやイタリアの象徴を使い、描く画家も決めて、自身を人としてではなく、英雄という存在として使用しておりました。

「芸術家のパトロンたち・高階秀爾著」という本を読んだ事があります。そこに書かれていた事は、「15世紀以前には芸術家としての画家や彫刻家というものは存在しておらず手作業の仕事をする職人として存在し、それ以後、パトロンが神殿や教会から、商業組合などに変わっていくにつれ、芸術として芽生え、また、パトロンもそれを理解し受け入れるようになったのだと。」
それをふまえて考えてみると、ナポレオンの肖像は旧時代の職人たちの仕事だったのだと思われます。
ナポレオンが芸術家達を抑えつけて作らせたかどうかは分かりませんが、当時の自我を持った芸術家達が反発したであろうことも想像させられます。


エピローグとして展示されていたアルチンボルドの「春」と「秋」という作品が歌川国芳と似ていて面白かった。
アルチンボルドは人の顔を花や作物をつなぎ合わせて描き、歌川国芳は人の顔をポーズをとった人でつなぎ合わせて描いていました。
こういう似た作品を「西洋」と「東洋」などで対比していく展示なども興味深いかもしれません。色の使い方や線の使い方の違いなど、細かい点を見て比べれたら素人の私にも分かりやすいと思いました。
「織田信長」と「ナポレオン」なんかもいいかもしれませんね。

今回の展示品は古代から2〜3世紀、そして、16世紀以降の作品がほとんどでした。
見事に職人として存在していた時期の作品がありません。それはおそらく人を描く事が無かったからだと思われるのですが、今回のテーマにそぐわなかったのかもしれません。そのあたりの解説が少しあればもっと楽しめたかと思いました。
そして「人が人をどう表現してきたか」についてはよく分かりませんでした。
展示品を見た感じだと、大きな権力者から個人へと肖像の対象が変わっていき、それによって求められる作品が変わり、人に表情が生まれて来た。という流れだとは思いましたが、描く側の個性がもっと強く出た作品なども並べてみない事には想像することはとても難しいことだと思います。


ルーブル展のほかにも、美術館の2階では、1階とは対照的な中国書画の展示が開催されておりました。
こちらはコレクターの方が集めたもので、長い絵巻物が多く飾られていました。自然の描写や神の描写、文字などがかかれたものが多くありました。
巻物のあっちこっちに印鑑が押されていたのが面白く、色々な所でコレクションされてきたものだと認識させられます。
個人的に気になったのは「封泥」コレクションでした。こちらは価値が高いのか東京国立博物館に寄贈されているもののようでした。
その中でも目玉として秦〜漢代に使われたと目されている「皇帝信璽」の封泥が展示されていました。

博物館ではなく美術館だったけれども、力みすぎたのかかなり疲れてしまいました。
そんな状態で登山用具売り場を物色したが、よく分からず何も購入しないまま帰宅。
帰りの電車では、ナポレオンの作戦と登山用品メーカーモンベルのやり方が似ているんじゃないかという議論に花が咲き、権力が下へ下へきている事を実感し、権力が変わっても人は変わらないもんだなと思いました。



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