2019年9月 多賀神社

凸凹資料館


宇和島の町の外れ、須賀川を越えたところに多賀神社がある。この神社が少し変わっていて、性の文化に対して強く関心をもっている。
境内には韓国石造美術文化財が33件あり、その一角には凸凹資料館という3階建てのビルも建立している。
時間が無かったので石造物はあまり見れなかったが、鬱蒼とした茂みの中に石の人物像や性器をかたどったもの、木製の大型の男性器などもあり、異様な空間を生み出しているように感じた。


まずは神社にお詣りをします。社の左脇に男性器が飾ってある以外は一般的な神社かと思います。
神社のパンフレットによると、初代久保盛丸神主が大生殖宗を開基し、二代目凸凹丸宮司が世界の性資料を集めて凸凹神堂に発展させたと説明されております。
入館料は800円。写真撮影禁止だが2万円払えば構わないらしい。実際にかなりの量の展示なので5000円くらいならば払っても撮ってみたい気がしました。


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凸凹資料館は3階建てとなっていて、玄関にはインドの土俗信仰であるムカ・リンガと呼ばれる石造物が展示されている。ここまでは写真撮影可能なので自慢の製品は是非撮って帰ってくれということだと思います。
私は撮るのをすっかり忘れてしまいましたが、一番下に載せたメモ書きを見て分かるように、女性器をイメージ?した台座にシヴァ神の象徴?である棒が伸びているという形をしております。このシヴァ神に水を掛け、女性器の溝を通って滴り落ちてくる水を頂くのだそうです。
インドの民家に行くと必ずこのムカ・リンガがあり、今もその信仰が続いているとも説明されておりました。
説明が無ければまったく性の文化とは感じられませんが、現代が科学を信仰してすべて科学に置き換えるように、古代では全て性の文化に置き換えていたのやもしれません。

入館してすぐのホールには、先代の宮司と思われる方が世界中のあちこちで撮った女性とのツーショット写真が飾られておりました。
そのホールから上へ階段がつながっており、その階段にも色んな地域の性に関する祭りの写真などが飾ってありました。個人的に気になったのは佐渡島の祭りで、面をかぶった男性が素っ裸の女性を棒でつっつきながら練り歩く写真にびっくりしました。女性の雰囲気からして何らかの撮影のようにも感じたので、どこまで本当かは分かりません。

ホールを通り過ぎると展示室になります。1階では日本の民俗信仰の中の性具がたくさん展示されていました。
下から見ると女性器が見える弁財天像や、像そのものが男性器と思われる「田の神さあ」、禁教として指定されてしまった真言宗立川流の曼荼羅?、性を描写した絵馬などがあり、ところどころに手書きの解説板が設置されておりました。
書いた人(初代神主?二代目宮司?)の情熱がひしひしと伝わるその解説板が大生殖宗の教えであると理解しました。かなり詳細に書いているので非常に難しく、時間的にもすべてをみる事はできませんでしたが。

国立民族学博物館で撮った田の神さあ

鹿児島菱刈周辺にあった田の神さあ
後ろから見れば男性器のようにも見える「田の神さあ」。この像も色々な形があるので、常に生殖宗を意識していなければ男性器に見えなかったと思います。ひょっとすると、長い年月の末、性の信仰とはかけ離れてしまったようにも感じますし、その逆で、性の信仰へと変わっていったのかもしれません。

その他に法隆寺や唐招提寺にも性の落書きがあったとか、江戸時代の3派禁制という時代の説明も新鮮で、キリシタンだけでなく、日蓮宗の一派で無布施の慈悲田派、真言宗立川流という宗教も禁止されていたそうです。

2階はインドやヨーロッパ、南アメリカのものが展示されていました。
南アメリカはアンデス文明展示で見たように死者とも性交するという土器が主で、ヨーロッパは貞操帯やSM器具などの玩具系が主でした。インドは神に抱き着いている女性の像がたくさんありました。
特にインドのものを宗教的に大きく考えているようで、シヴァ神の事やガネーシャの事など色々と書かれておりましたが、あまりにも難しい内容ではっきりと記憶に残らなかったことが残念であります。

インド系ではシヴァ神信仰が大きく取り上げられていたのですが、近所のネパール料理屋で聞いた話だと、音の世界をオームが生み出し、そこに、創造の神プラフマーと破壊の神シヴァが世界を形作ったと言っていたので、プラフマーやオームの信仰が何故無いのか非常に気になります。

ヨーロッパの貞操帯の説明も少し記憶にあり、主人の留守中に妻が貞操帯の鍵を複製して、浮気相手の男に売るのですが、その鍵の値段が女の価値みたいに書かれていたのも面白かったです。

3階は浮世絵と中国・韓国の展示となっております。中国・韓国の性文化はあまり残っていないようで少量の展示となっており、それは儒教により性的な表現が抑圧されていたためであったろうとの説明がありました。

その反面、儒教が大盛況であった江戸時代の浮世絵がかなり多く展示されていて、男女の性交の場面を小人のような人物がのぞいている絵やだまし絵と言われる(よく分からなかった)もの、そして少し気持ち悪かったのが顔を性器として描写している絵です。
全体的に性の表現が倒錯的すぎて、少しグロテスクにすら感じてしまいます。「性」というものが身近にあったからこその表現であり、現代では蓋をしてしまい身近で無くなったということが理解できました。
少量ではありますが明治から大正時代にかけての遊女の写真が展示されていて、そちらの方が風情があり綺麗に見えました。江戸時代と明治以後で感覚が変わった事のあらわれですね。


最後、帰る時に受付の人に「まだ展示の内容は増えるのか?」と聞いてみたところ、展示の入れ替えなどはあるがこれ以上は増えないと思うとおっしゃっていた。
説明板が棚の下とかにたくさん置かれていたのでまだまだ大生殖宗は奥深いぞ!ということなのでしょう。さらに入口には「資料館を見て廻るには1日かかる」と書かれていて、大生殖宗に対して理解を深めようとすれば、何度も何度も足を運ばねばなりません。

あまり気張らずにこのような性の文化というものがあったのだと、軽く見るくらいのほうが楽しめる展示だと思いました。




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