2019年11月 有年考古館

「謎の氏族・秦氏」

〜考古学からみたその実像〜


前回は考古館そのものが見たいと思い、そのために訪れた有年の地。日本一小さな博物館と言われている有年考古館は、想像に反して展示品が充実していることに驚いたものだった。
今回は、より深く学びたいと常々考えていた「秦氏」に関する展示が開催されていた為の訪問と相成った。
謎の氏族と言われる秦氏に関して理解を深める事ももちろんだが、有年考古館がどのような展示をするのかが非常に興味深く思っている。

例の如く3、4時間電車に揺られ有年駅へ到着したのは10時過ぎ。駅前は少し変わっており、観光案内所やトイレ、新興住宅も以前より増えていたように思えます。
駅周辺では道路の工事がまだまだ行われており、これからどんどん変わって行きそうな有年駅前であります。

有年考古館では現在屋根の修理工事中です。少しカンカンと音が出ていましたが観覧するのに大した影響は無いと思います。
閲覧にはかなり体力を使うので(途中で眠くなってきたりする)、有年考古館の創始者である松岡氏の像の下で昼飯を食べて(お勧め昼食スポット)、準備万端で考古館へと入って行ったのでした。


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今回は人気の秦氏を取り上げた展示であるからなのか、来館者が多くおられました。すれ違うのもぎりぎりの小さな館内でそれぞれ物思いにふけりながら熱心に展示品を見つめます。
こちらの館員の方は展示品説明に力をかけているので来館者に対して色々と説明をされておられました。その説明を小耳にはさみながら私たちもじっくりと展示品を味わってみました。

展示内容は大きく3つに分かれておりました。

1つは、古墳時代の、主に加古川以西の古墳・遺跡の中で、渡来人と関係があると目される出土品がある古墳・遺跡を展示した一角。

2つは、飛鳥時代以降の、赤穂郡の遺跡からの出土品、平城京木簡や文献資料、墨書土器などから秦氏の活動を考え、赤穂郡の開発に関わったことが見えてくるという一角。

3つは、秦氏にまつわる近世の説を紹介した一角。ここでは司馬遼太郎の小説や秦氏ユダヤ説を唱えた佐伯好郎の景教研究などの書物が展示されておりました。


1・古墳時代の展示

展示棚の中には土器がズラっと並び、時々金・銀製品などが入っております。日ごろよく見てるものばかり展示されているように思いましたが、それぞれ渡来人と関係があるということに驚きました。
そんな中からいくつか展示品を紹介していきます。

下写真は池尻古墳より出土した「釘・鎹(かすがい)」です。
こんなものはどこでも出てきそうなのですが、日本では4世紀まで釘・鎹を使って木材を固定する習慣が無く、5世紀になり釘が伝来した後もあまり普及しなかったそうです。しかし、朝鮮では棺に使用するので、釘・鎹が、5世紀の古墳の石室から出てくると、渡来人か、又は渡来人に近い人が葬られたと考えられるとのことです。


上写真は同じ池尻古墳より出土の「はそう・双はそう」になります。
これもよく見る製品だったのですが、そもそも使い方を知りませんでした。あの丸く開いた穴に木の筒のようなものを差して水を注ぐ道具なのだそうです。
この製品は「はそう」の中でもイボで飾り立てたり、2つをつなげ足をつけたりと趣向を凝らしております。さらにこのような土器が石室の中に入っているのが朝鮮系らしく、日本では石室の中へ納めないそうです。


次は竹万宮ノ前遺跡より出土の「円筒型土器」です。
意匠が全くなくのっぺりとした円筒埴輪かと思っていたのですが、朝鮮系の「かまど」に使われた煙突だそうです。

この時はサッと見てしまったのですが、この形式のかまどがいつまで使われたかが気になります。生活習慣はその土地の風習に合わせて変化していくものだと思うので、日本化はなかったかどうか、疑問点としてしっかり記憶しておきたいと思います。


上写真が有年考古館のキャラ「うにゅ」を使用した説明看板です。
今回の展示では、このキャラを使いところどころで分かりやすく解説しておりました。子供向けのように書いていますが内容は大人向けであります。
萌えキャラが流行る現代においてこのキャラの使用いかんが有年考古館の生命線を握っているやもしれませぬ。
ただ、奈良の「せんと」と比べると気持ち悪さが足りないようにも思えるので、もう1人気持ち悪い系の萌えキャラを置く事をお勧めいたします。


下写真は東有年・沖田3号墳出土の「装飾須恵器」です。
前回来た時は二階に飾られていたものですが、今回はこの特徴的なものを表舞台に飾っております。
須恵器の上部に人を象ったようなものが数人くっつけられており、お祭りをしているような雰囲気です。説明看板によると相撲説が一番有力らしいです。
陶器の人形が器にくっついているものは新羅において盛んに作られたので、この須恵器も新羅の影響があったのではないかということでした。

古墳時代を見た感想

私が思う特徴的なものを取り上げてみましたが、この他にも、新たに見るものや前にどこかで見たようなものなど様々な遺物が展示されておりました。

多くの展示品に圧倒されながらも少し気になったのは、あまりにも渡来系ばかりで、日本系がなにか分からない状態になってしまうことでした。
館員にとっては当たり前の事かもしれませんが、素人向けに日本系の代表的なものを少し紹介してくれれば比較ができて良かったと思います。


2・飛鳥時代以降の展示

飛鳥時代以降の展示はスペースが小さくなり、文献資料というものが加わってまいります。
土器を細かく説明することは無くなり、赤穂郡でどのような事がおこなわれていたかを推測する説明看板になってまいります。

下写真は堂山遺跡より出土した「製塩土器」です。
この遺跡では3世紀頃〜13世紀頃まで塩づくりをおこなっており、6〜7世紀頃に製塩土器の出土量が激増するそうです。
この事を裏付けるかのように、「播磨国坂越・神戸両郷解」には、天平勝宝8年(756)頃「秦大炬」という人物が塩田の開発に失敗したとの記録が残されています。
紀伊半島で見た丸底タイプの製塩土器に似ており、石敷製塩炉で焼いたものと思われます。
前後の製塩土器の形態推移も分からないし、秦氏が製塩に関わったのか、ということもなんともいえません。ただ塩荘園の管理を任されるような立場に居たということは分かります。


8世紀の姫路に存在した「播磨国分僧寺跡・国分尼寺跡」からは「秦」や「秦木」と刻まれた瓦が出土しています。このことから国分寺の造営や修理に秦氏が関わっていた事がうかがわれるそうです。

その他の考古資料として、有年で牟礼・山田遺跡が7世紀に突如出現し、「秦」と書かれた刻書須恵器が出土します。時を同じくして有年での特徴的な古墳「祇園塚型古墳」が造営されていきます。
文字資料としては、平城京跡から出土した荷札に「赤穂郡大原郷、秦なにがし」と書かれたものが数点あり、奈良時代には秦氏が確実に存在し、「日本三大実録」貞観6(864)年に赤穂郡の大領「秦造内麻呂」の名があり、大領の地位につけるような氏族であったことが分かります。時代は下りますが平安時代の「東寺百合文書」に相生市周辺を「秦為辰」が管理していた記録もあります。

飛鳥時代以降を見た感想

古墳時代では渡来系としか分からなかったものが、ここでは「秦氏」として名前がでてくるようになってきます。
新たに秦氏がこの地に入部したのか、だんだんと力をつけてきて地位が上がってきたことで名前がでるようになったのか、疑問がつきないところであります。


3・近世秦氏の文献

近世に入ってからの「秦氏研究」の紹介は棚1つに文献をいくつか載せたスペースになります。

唐時代の景教研究を行っていた佐伯氏の「秦氏=ユダヤ人」説、天日槍〜秦氏というつながりを唱えた喜田氏。
松岡氏の坂越の景教騒動考察文も面白かったです。

展示全体のまとめ

少なくとも5〜6世紀の古墳時代には、渡来系の勢力が赤穂郡、又は西播磨周辺に大きな影響力を持ち、その中でも新羅系がより強かったと目される。

古墳時代から飛鳥時代の6〜7世紀、特に7世紀台で赤穂郡は大きく変わってくる。それまでの勢力とは異なると思われる勢力が、新たな集落や古墳を作り、小規模生産であった塩田や窯も大規模生産へと変貌していく。

その新勢力がおそらく「秦氏」であり、平安期の荘園時代では現地の有力者として文献に登場してくるのである。

平安期が終わり新しい時代になると、「秦氏」という名前には価値が無くなり自然消滅していき、伝承として伝えられるだけになってきた、ということであろう。

秦氏展示の感想

今回の展示で一番重要な部分は、赤穂郡における古墳時代の渡来系が「秦氏」と関係が無い、もしくは薄い、ということだと思います。
飛鳥時代の644年、聖徳太子の片腕である秦野河勝が坂越の浦にたどり着いた、という伝承を裏付けるような結果が考古学からも後押しされたことになります。

前時代の渡来系とはまた違う新勢力とは、「唐」という巨大な国による余波であったかもしれず、日本の国がアジアの中の潮流に巻き込まれている事を常に念頭におかなければならないと再認識しました。

個人的に今回の展示で一番びっくりしたのが、古墳時代の出土品について全く知らなかった事でありました。よく見てるけど、「見てるだけ製品」が数多くあり、細かく解説がされていて、それを知れたのが良かったと思います。

さらには、館員の方に今回も色々とご説明していただき非常に面白かったです。
今回の展示品の説明についてもそうですが、発掘現場の写真を見せてもらい、平らにならすと柱跡や濠跡が色が変わって見えること。奈良文化研究から木簡が借りれなかったことや、秦の郷のことなども色々と話させてもらいました。

有年考古館ではこのように館員の方が丁寧に説明してくださるのも特徴で、色んな人がその説明を聞き満足そうに帰って行きます。
今後も有年考古館らしい解説つきの展示や、斬新な切り口で真実に迫る展示を楽しみにしておきたいと思います。



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